【ニュートンの功罪】

ニュートンは、言わずもがな、偉大な物理学者。
 
地上でリンゴが落ちることと天体の動きは
同じ法則に従っているのではないか?
と看破し
 
世界を数式で記述した最初の人間。
 
天才。
 
 
ニュートンの運動方程式は美しい。
それは間違いない。
 
ただあまりに美しくて
あまりに魅力的すぎて
 
それこそが自然の美しさであると、
一義的な因果関係によって成り立ち、
計算できるからこそ世界は美しい、という
誤解をもたらす。
 
 
ニュートンが描き出す世界。
絶対的な空間、絶対的な時間、絶対的な世界。
 
自分が存在しようとしなかろうと
そこに厳然と存在する世界。
 
世界があって、そこに私がいる、という前提。
 
量子力学が発展した現在においても
私たちの多くはニュートンの世界の虜。
 
 
だけど、
私と切り離された世界は存在するだろうか?
認識者がいなければ、世界はないのと同じ?
 
 
ニュートンの世界を飛び出して
量子論の世界へようこそ。
 
私がいて、だから世界がある、という前提にたてば、
世界をつくっているのは私。
 
どんな世界をつくるのか、どんな道を歩むのか。
 
 
つくっているのは私。

思い通りの人生を歩いていく。

 

 

 

 

「私は大海を前にして磯辺で貝殻を拾っている子供にすぎない」
 
ニュートンには、
世界はどんなふうに見えていたんだろう?
ニュートンの拾った貝殻が
世界の全てだと思い込んでしまったのは誰?