【賽(サイコロ)】

「賽は投げられた」

共和政ローマ期のカエサルの言葉。

軍人の覚悟という強さのイメージがある。

 

量子力学を勉強して

この言葉に新たなイメージが生まれる。

 

 

アインシュタインの有名な言葉

「神はサイコロを振らない」

から来るイメージで

 

アインシュタインの思考とは相容れず

自然の本質はどうやら「曖昧」で

ただしその確率はしっかり計算できて

サイコロを振るように決まっていく。

 

ホーキングが

「神は本当にサイコロを振るのだ」

と言ったように、

この宇宙の始まりにサイコロありき。

 

 

だとすれば

どんな目がでるかわからなくても

賽を投げてみないことには始まらない。

 

自分の道を切り拓いていくとき

賽を投げるのは私。

 

一歩踏み出したときにはもう

賽は投げられている。

 

そして人間にはなぜか意思とか意図があるから

どんな目が出るかはコントロールできる余地がある

と私は思っている。

 

賽は「始まり」の象徴で

予測不可能な未来と

そこに突っ込んでいく自分の姿勢を問うアイコン。

 

 

ここでカエサルに戻って

「最後までやるしかない」という意味も汲む。

 

 

新たな一歩を踏み出すときに

いつも頭に浮かぶ言葉だから

BINLOJIには「賽は投げられた」というTシャツがある。

 

でもそのTシャツのデザインにサイコロは登場せず

ペンキ缶で

 

このあたり、伝わりくいかと思うのだけれど

「有り体(ありてい)に描きては興無きものなり」

江戸町人の粋の精神に惹かれるが故かと。